ディズニー・アニマル・キングダムの不思議な歴史

フロリダ、ウォルト・ディズニー・ワールドにある「ディズニー・アニマル・キングダム」ここはディズニーが手がける"動物園"という他とは一風変わった不思議なパークなのです。そんなアニマル・キングダムについて、主に製作の歴史という観点からたっぷりと紹介していこうと思います!

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ウォルト・ディズニー・ワールド(以下WDW)4つ目のパークとして1998年4月22日に開業した、その名の通り動物をテーマとしたアニマル・キングダム、一体なぜこのパークが誕生したのでしょうか。なぜ...うーん、なぜ?

まずWDW内の他のパークを見てみましょう。最初に出来たのが1971年開業のマジック・キングダム。これはカリフォルニアのディズニーランドの複製版に近いパークで、そりゃあ最初に作るにはこれしか無いだろう。うん、納得。

次に出来たのが1982年開業のエプコット。なるほど、元々WDWはエプコットという街を作る計画だったのだからその意志を引き継いだパークを次に持ってくる。超納得だね。

3つ目が1989年開業のディズニー・ハリウッド・スタジオ。そりゃあディズニーだもん、映画のパークは作りたいよね。納得納得。

そして4つ目がそう、動物園!うーん、なぜ?

考えてみればみるほど分からなくなってくるので、これは放っておきましょう。作りたかったんだよ、きっと。

というわけで1990年代、「ディズニー・ワイルドアニマル・キングダム」の建設が発表されました。(Wild Animalは野生動物の意味)

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そしてこのパークには、今後のディズニーをも変える革新的なアイデアが沢山盛り込まれていたのです。どうしてかって?だって、動物園なんていうのは世界中どこにでもあるから。わざわざお客さんにフロリダという場所まで来させて、その上でマジック・キングダムとほぼ同じ料金を取らせるには普通の動物園じゃ絶対無理。もっとディズニーらしい革新的なものが必要でした。

そこで登場するのがこの方、イマジニアのジョー・ロードさんです。

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彼は1980年にディズニーに入社し、最初は下っ端なデザイナーとしてディズニーランドやエプコット内の施設のデザインやメンテナンスを担当していました。しかし1989年に、WDW内にあるショッピングエリア「プレジャー・アイランド」(現:ディズニー・スプリングス)にレストランを作ることを任せられると、ここで本領を発揮します。

彼は「アドベンチャラーズ・クラブ」という1930年代の冒険者が集う会員制クラブをイメージしたレストランを作り上げました。独特な世界観と細かく練られた物語、そしてそれらを結びつける繊細かつ美しいデザイン。多くのディズニーファンがここに魅せられカルト的な人気となり、2008年に閉店が決まった際には反対運動が起きたほど。アトラクションならともかく一つのレストランの閉店で反対運動が起きるってすごくない?

そうして実力を見出されたロード氏はアニマル・キングダム建設の中心人物として動くことになります。彼が得意とするのは徹底的に作り上げられた世界観。そして元となる風景があるのなら、それを忠実に再現すること。これこそが普通の動物園とアニマル・キングダムを大きく分けるポイントです。

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さらに動物園との差別化として、普通の動物園では絶対に置けない動物、すなわち恐竜やユニコーン、竜など現実には存在しない動物を展示する事となりました。幸いディズニーは機械で動物を作る事に関しては世界最高峰の技術を持っているので、普通の動物と機械の動物を横に並べる事だって可能でした。

だがしかし!思いもよらない事により、この計画は大きく形を変える事となります。それが1992年のディズニーランド・パリ開園。激しくお金をつぎ込んだこのパークは、思ったほどの売り上げが出ずに大赤字となってしまいました。それが原因でディズニーは多額の借金を抱え、その影響で(ディズニー直営でない東京ディズニーリゾートを除いた)全てのパークで予算を削減しなければいけなくなってしまいました。

という事でアニマル・キングダムと普通の動物園を区別化するはずの予算が大幅に消え、特にこのBeastly Kingdomという空想上の動物が登場するエリアの案は丸ごと消えてしまいました。この絵を見る限り、とっても素敵そうなエリアなのにねぇ。

このエリア内には新パークの目玉となるはずだった大型アトラクションが何個か予定されていたものの、結局完成したのはキャラクターとのグリーティング施設がわずかにあるキャンプ・ミニー=ミッキーという圧倒的下位互換。このエリアは、あくまで新たな拡張のための一時的な施設として作られたものの、ここが置き換わるまでには20年かかったのよね。

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こうして予算が消えた中で生き残ったアトラクションはごくわずかでした。目玉のアトラクションは結局、車に乗って動物を見る「キリマンジャロ・サファリ」というもの。まあごくごく普通なサファリパークのアトラクションで、そりゃあ楽しいけど...ねぇ?というテンション。

他には、外の景色がきれいに見られるけど見える景色は全部バックヤードという不思議な列車があってそれに乗ったら動物ふれあいコーナーみたいなのに行けたりするやつ。あとかろうじてのディズニー要素としてライオン・キングやポカホンタスのショーとかグリーティングがありました。

あと、インディ・ジョーンズのライドシステムを転用した恐竜の時代にタイムスリップする「ダイナソー」っていうアトラクションがあって、これはなかなか楽しいのよ。演出がかっこよくて研究所風の建物とか恐竜のオーディオアニマトロニクスが素敵なんだけどさ。ずっと暗い中を進むから結構怖くて、「ジュラシックパーク ザ・ライド」の終盤の怖い研究所エリアがずっと続くみたいな雰囲気で、終わるとなんだか疲れちゃうっていう。

そして映画バグズ・ライフが基の3D映像シアタータイプの「イッツ・タフ・トゥ・ビー・ア・バグ」という害悪アトラクション。虫嫌いにとっては、あれ本当に見る拷問でしかないし、あれに20年間に渡って会場が埋まるほどの人が観に行ってるのが本気で理解できない。

とにかく!アトラクションの面では、まだまだWDWの他の3つのディズニーパークに並ぶには厳しいところがありました。しかし先ほど紹介したジョー・ロードさんはとても良い仕事をしていました。

彼が行ったのは、それぞれのエリアに独自の物語を組み込んだ事。私たちが住む街にあるような歴史と同じものをテーマパークのエリアにも入れようとしたのです。それらはバックグラウンドストーリー(BGS)と呼ばれ、決してその物語は前面に出てくることは無いけど、エリアを詳しく見てみるとそこにある街並みや小物は全てその物語に沿ったものになっています。

例えば「アフリカ」というエリアでは、ただのアフリカっぽい風景ではなく、Harambe(ハランベ)という架空のアフリカの街を考え出し、その街の細かな物語を作りました。そしてエリア内の全てのアトラクション、ショップ、レストラン、そしてトイレに至るまでがその物語に沿って作られています。

もちろんそれを知らなければ、アフリカ風の街並みと何の区別もつかないでしょう。だってそれこそが、バックグラウンド、すなわち背景のする仕事だから。それこそバックグラウンドミュージック(BGM)と同じです。おしゃれなカフェで流れてる音楽で何が流れてるのかは分からないけど確実に雰囲気は良くなるよね。

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ディズニーパークはその最初期からエリアの世界観にこだわってきましたが、その物語をエリア全体で深く作り上げるというのはこの頃、1990年代からのように思えます。個人的には、アトラクションだけでなくエリアを跨いだ大規模な物語作りはディズニーランド・パリのフロンティアランドが最初だと思ってる。

そしてその流れは続いていき、2001年の東京ディズニーシーという世界一BGSにこだわったパークが出来たんだと思う。ディズニーシーの建設自体にはジョー・ロードさんはそこまで深く関わっていませんが、2006年の東京版タワー・オブ・テラーにはとても深く関わっており、相変わらずゴッリゴリの物語に仕上げられています。はぁ、カリフォルニア・アドベンチャーもこの流れを汲んでたら歴史は大きく変わっていたんだろうなあ。

まあ、そんなこんなで建設が進んでいくと大きな敵が現れます。複数の動物愛護団体が、ディズニーの動物園建設計画に対して反対活動を始めたのです。その中でもPETAという、動物由来の衣服を着るぐらいなら裸の方がいい!と裸で街を練り歩くようなちょっとアレな団体は、WDWに行かないよういわゆる不買活動を呼びかけたり、開業日にデモを行うなど、徹底的にディズニーを妨害します。そこでディズニーはどのような対応を取ったのでしょうか。そう、徹底的に無視です。

だってディズニーは別に何も悪いことはしてないんだもん。動物園なんて世界中どこにでもあるし、敷地が広いのでほとんどの動物は狭い空間に閉じ込められていたりもしない。もちろん法律も破ってないし、動物に配慮して日が沈む頃にはパークは閉園していました。(アバターエリア開業以降は夜も営業)

ただ確かに言われてみれば、他の3つのパークで毎日ドカドカ打ち上げられる花火の音がバッチリ聞こえるから、それが動物たちの健康に関わるっていうのはあるかも。でもそれぐらいだよ、他の動物園との違いなんて。

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さて、そしたら開園後はどうなったかと言うと、まあボチボチって感じ?だって動物園が嫌いな人はそういないから、WDWに長期滞在するなら行ってみよっかってなるよね。だから動物園としては大成功なんだけど、ディズニーパークとして見るとやはり他のパークに見劣りする部分はあったと。

何せアトラクションが少なすぎる。一日遊ぶには乗り物が少なすぎて、数少ないアトラクションはどこも長蛇の列になってしまい、ただの移動用の船にも長い列が出来ててせっかく並んだ人が乗ってがっかり...なんてことも。なので開園した最初10年ほどはアトラクションを増やすことが何よりもの重要課題でした。

というわけで、まず1999年に誕生したのが、急流下りが体験出来る「カリ・リバー・ラピッド」というもの。ただ同様のアトラクションがカリフォルニアにもあって「グリズリー・リバーラン」っていうんだけど、そっちの方が圧倒的に豪華なので可能ならフロリダ版を先に乗ってみたかった。まあしょうがないね、β版だから。

さらには2002年に子供向けの恐竜エリア「ダイノランドUSA」の拡張などを行いました。他のエリアは小さい子向けのアトラクションが全然無いから、家族連れが全てこのエリアに凝縮されてて中々不思議な空間。

さらにアトラクションではないけど、2001年にパークの近くに「アニマル・キングダム・ロッジ」というホテル(パーク併設ではない)が誕生しました。このホテルはアフリカのサバンナの風景を再現したゴージャスなホテルで、何よりすごいのは全ての部屋から動物たちが見れること!朝起きてベランダに行き外を見ると、そこではキリンやシマウマがウロウロしてるなんて体験が出来るんですよ。そう、ここはまさにアフリカ!マジック・キングダムやエプコットにバス一本で行けちゃうアフリカ!

と、このように開園してからも新しい体験が次々と増えていったのです。そして2006年にはアニマル・キングダムに足りなかった最高な目玉アトラクションがついに登場します。それこそが、エクスペディション・エベレスト!

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舞台はヒマラヤの山々。イエティが出るという伝説がある山に入り込むと、そこでは信じられないことが起きていました。なんとレールが壊されていたのです!ゲストを乗せた車両はそこから後ろへ戻り、山から急落下。イエティから逃げ惑うのでした。

ジェットコースターに乗って山の中を走り抜けると伝説上の生き物に出会う、という話自体はカリフォルニアのディズニーランドにある1959年開業の「マッターホルン・ボブスレー」と一緒。このアトラクションはそこから約50年の時を超え、大きく進化したジェットコースターなのです。これを作り上げるのに使用した鉄は5000トン、コンクリートは10000トン、資金は1億ドルと、世界最高額のジェットコースターとしてギネス登録もされています。

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このアトラクション建設にもジョー・ロードさんが関わっており、当然作るにあたって最初にしたのは実際にヒマラヤに行ってイエティの伝説を調べること。すごくない?イエティの話を聞かれたそこの住民は、きっとその人たちは歴史学者か何かなのかなって思うでしょ。でも違うんだよ、彼らはただジェットコースターを作ろうとしてるだけなんだよ?

おかげで乗り物の待ち列(キューライン)は、彼らイマジニアがヒマラヤ周辺の村で集めた写真や8000個もの小物が飾ってある博物館になっています。だからこの博物館は本当に博物館として機能してるってわけ。

そしてもちろんジェットコースター自体もすごくて、だって途中でレールが途切れてて後ろへ戻るんだよ!?すごくね!?僕はこれに乗りに行った時は、当然レールが途切れてるという事を下調べの時に知った状態で乗りにいったんだけど、一緒に行った下調べはゼロ、完全人任せの同行者はその事を知らずに、乗った時に初めてその事を知るという超絶うらやましい体験をしてます。はぁ、いいなぁ。

ちなみにこのアトラクションは世界のディズニーパークの中で一番高い60.6メートルです。ディズニーパークは常に航空法と戦っていて、一定の高さを超えると赤い航空誘導灯を付けなければならず、ディズニーとしてはそれだけは避けたいんですね。ただその規定の高さっていうのが日本だと60メートルなんだけど、アメリカだと200フィート(60.96メートル)だからアメリカの方が若干高く造れるという。ちなみに東京ディズニーリゾート内で一番高いのはタワー・オブ・テラーの59メートルです。誤差だね。

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このエクスペディション・エベレストの豪華さからも分かる通り、もうこの時代のディズニーはとっても裕福になってたくさんの資金を突っ込めるようになっていました。なのでここでようやく、かつて開園時に出来るはずだった空想上の動物が登場するエリアを造り、一時的なエリアのはずだったキャンプ・ミニー=ミッキーを進化させようと決意したのです。ようやく。ただし当初の計画とは大きく形を変えて。

2011年、ディズニーはアニマル・キングダムに映画「アバター」をテーマとしたエリアを作る事を発表します。アバターは2009年のSF映画で、公開されると瞬く間に大ヒットとなり歴代興行収入ランキングでは堂々の一位を記録しました。

しかし数年もするとそのブームは過ぎ去り、今ではおそらくほとんどの人が映画に登場したキャラクターの名前を一人もあげられないでしょう。理由としてはシリーズものでは無かった(一応作るつもりではいるらしいけど)のと、子供受けが悪かった事だと思う。公開当時僕は小学生で、最初に観た時の感想は「長くない?」だったからね。100分程度のアニメばかり観てた子に3時間近い映画は中々キツいものがあったから。

果たしてブームが過ぎ去る事をディズニーは何となく分かっていたのか、それとも予期せずに勢いだけで作ると決めちゃったのかは分からない。けどその流れを見たディズニーは、当初の人々の予想とはだいぶ離れたエリアを造る事にしました。それはキャラクターや物語に頼らず、あの美しい風景だけを取り出した世界でした。

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私たちゲストが訪れるのは当然映画の舞台となった衛星パンドラ。しかし時代設定は映画の数十年後。これだけで映画に登場したキャラクターはほぼ登場しない事が分かります。そしてアバターがヒットした最大の要因と言われているのが映画館で3Dで観た美しい風景。ジェームズ・キャメロン監督がタイタニックで稼いだ金を全部突っ込んだだけあって超絶細かく作り込まれた風景を再現した事を前面に押し出す事で、映画を観たことがあってもなくても同じように楽しめるのです。

このアバターエリア、「パンドラ - ザ・ワールド・オブ・アバター」に行った後、割とすぐにこのブログで感想を書いてました。これを読み返すと、何だかアトラクションの感想の所だけやけに語彙力低いなって。

でもあれはしょうがない。このアバターエリアの「フライト・オブ・パッセージ」は、本当に説明できないほどの感動を味わえる最高アトラクションなんですよ。ユニバーサルがハリー・ポッターを出してきた時に、作品としての力では確実に負けるアバターを使って、技術力と演出だけでここまで持ち上げてきたのは驚異的だって。だってハリー・ポッターのエリアは小説や映画を知っている前提で作っているけど、このアバターエリアは映画を知らない前提で作られてるからね。「あばたー?あの顔が青い人たちの話?」ぐらいの理解度でも最高に楽しめる。

だから正直、このエリアはアバターである必要があったのか?という疑問は残る。だってアバターはディズニー映画じゃないから製作元のライトストームと20世紀フォックスに多額の原作料を払い、グッズや食べ物の売上の一部も渡し、それでいて作品を知らなくても大丈夫なエリアを作るのかという。しかも権利関係が複雑だからグッズもディズニーキャラと絡めたものは作れないし...。

とかいう疑問が出来たときにはあったんだけど、その後ディズニーが20世紀フォックスを買収しちゃったんでこの議論は全部解決。はいはい、アバターはもうこれからディズニー映画ですおめでとうございます。恐ろしいよね、スター・ウォーズとかインディ・ジョーンズとかトイ・ストーリーとか、アトラクションが出来た時はディズニーが作ってる映画じゃなかったはずのものが、いつの間にディズニー映画になってるんだよ?

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そしてこの写真を見ると分かる通り、このエリア建設にもジョー・ロードさんが関わっています。(その隣にいるのはトム・スタッグスさんとジェームズ・キャメロン監督)

こうやってアニマル・キングダムの歴史を見てみると、至る所にジョー・ロードさんがいるっていう。すごいよね。

ちなみに正確な日時は忘れたけど、この頃(2016だか2017らへん)からアニマル・キングダムは夕方で閉園していたのが夜まで営業するようになり、それに合わせてリバー・オブ・ライトという夜のショーが2017年から始まりました。ただ動物が近くにいる関係上、花火や炎など他のパークではやってる派手な演出が使えません。またPETAと大げんかになっちゃうからね。だから「ハッピリー・エバー・アフター」や「ファンタズミック!」と比べると見劣りしちゃうというか、眠くなるというか。

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というわけで、開園時に予算の都合で削られた要素は20年かけてようやく取り戻したように感じます。しかし、「ディズニーランドは永遠に完成しない」ので、きっとアニマル・キングダムもこれからまた進化していくでしょう。今のところはWDWの他のパークが忙しいので特に大きな予定はないんだけどね。

なので僕は新たなビッグニュースを心待ちにしながら、今日も口癖のようにフライト・オブ・パッセージすごかったなぁって言い続けるのです。

エプコット今昔 -ウォルトさんからマーベルまで-

フロリダ、ウォルト・ディズニー・ワールドのエプコットというディズニーパークを知ってますか?実はこのエプコットほど紆余曲折の歴史を経たディズニーパークは他に無いんです!今回はその濃密な歴史をたっぷりとご紹介していきます。

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エプコットとは?

まずはエプコットとはどんなパークなのかの紹介。このパークはフューチャー・ワールドとワールド・ショーケースの2つのエリアから構成されています。フューチャー・ワールドにはテスト・トラックやミッション・スペースなど主に未来をイメージした人気アトラクションが多くあり、ワールド・ショーケースにはメキシコ、ノルウェー、中国、ドイツ、モロッコ、日本、アメリカ、イタリア、フランス、イギリス、カナダの11ヵ国の国々をイメージしたパビリオンがありその中のいくつかには国をイメージしたアトラクションがあります。

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このエプコットというパークは、まさにここにしかない特別なパークです。オリジナルのアトラクションが多数あるというだけでなく、人が思ういわゆるディズニーらしさが極めて薄くて、グリーティング施設に行かなければ一日ミッキーたちの姿を見かけないレベル。こんな不思議なパークは一体どのようにして生まれたのでしょうか。

ウォルトさんの夢

初期のディズニー社の事業はどれもウォルトさんの思いつきから始まりました。アニメを作りたいと言ったからオズワルドとミッキーが生まれ、それを長編にしたいと言ったから白雪姫が完成し、遊園地を進化させたいと言ったからディズニーランドが出来ました。エプコットもそんなウォルトさんの思いつきから始まったのです。

1960年代、ディズニーランドも完成して一段落した頃、ウォルトさんは孫が何人もいるおじいちゃんになっていました。そんな孫の成長を嬉しく思う一方、そこはかとなく不安も感じていたそう。

果たして孫が大きくなっていった時、この国はどうなっているのだろうか。犯罪や政治の腐敗が起き、汚くて不幸にあふれるこの世界は、ディズニーランドという理想の世界からはかけ離れたものでした。

そんな中でウォルトさんは、ディズニーランドのような清潔で安全、人々が幸せに暮らせる理想都市の構想を練り始めます。そしてこの構想の中に、彼が思う理想の未来のイメージをつぎ込んでいったのです。

ところでディズニーランドは開園当時5つのエリアがありました。メインストリートUSA、アドベンチャーランド、フロンティアランド、ファンタジーランド、そしてトゥモローランド。どれもウォルトさんらが丹精込めて作り上げたエリアであることに変わりはないのですが、その中でも特に手が込んでいたのがトゥモローランドでした。

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未来の世界を描くときに、それを良いものとして描くのか悪いものとして描くのか。その中でウォルトさんは徹底して未来は良いものになるという主張を変えませんでした。技術の進歩によって必ず素晴らしい未来が待っている。もちろん初期のトゥモローランドのアトラクションでもその主張を見ることは出来ますが、特にこれがはっきりと分かるイベントがあります。それが1964年から1965年に開かれたニューヨーク世界博でした。

There's a Great Big Beautiful...

万博というイベントは19世紀からあったものの、一番盛り上がった時代はこの1960年代から70年代にかけてでしょう。1970年に開かれた大阪万博が高度経済成長期を感じさせる賑わいを見せたように、1964年のニューヨーク世界博も大きく賑わいます。

そしてこの万博はディズニーにとって特別な意味を持つ出来事でした。ディズニー社は複数の企業に依頼されて、初めてディズニーランド以外の場所に人々が楽しめるアトラクションを作ります。今でも大人気の「イッツ・ア・スモール・ワールド」もこの万博のために造られたアトラクションです。映画のトゥモローランドでも、このイベントが大きく取り上げられてますよね。

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ディズニー社はこの万博のために4つのアトラクションを作りました。その中に「プログレスランド」というアトラクションがあります。ゼネラル・エレクトリックに依頼されて作ったこのアトラクションは、ウォルトさんの未来観がはっきりと見て取れます。

このアトラクションはショータイプで、20世紀に住む家族の生活を時代ごとに追っていくというものです。最初は1900年代の生活の様子を見て、その次は1920年代、そして1940年代、1960年代と時代を飛んでいき、観客はそれを見てその間に起きた技術の進歩や生活の変化を感じ取ることができます。

例えば最初の場面では食べ物を冷やすのに最新の氷入れを使っていると自慢していたのに、次の場面では冷蔵庫が登場している。それを見て観客は、

「なるほど、この20年の間に電気が普及して氷を運ばなくても物を冷やせるようになったんだな」

と知ることが出来ます。そして大人は過去のそんな時代を懐かしみ、子供はその時代の事を知れるという教育的な役割が強いアトラクションでした。

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このアトラクションは第4幕の1960年代(すなわち「今」)で終わりますが、このアトラクションが一番主張したかったのは存在しない第5幕、すなわち未来の暮らしだと思うのです。

たった20年でここまで暮らしが変わった。それを3回も見せられたら当然、次は何が起きるのだろうと考えるでしょう。それこそがまさに、ウォルトさんらが伝えたかったメッセージだと感じます。

万博終了後、プログレスランドは「カルーセル・オブ・プログレス」と名前を変えてディズニーランド、そして現在はマジック・キングダムに移設されています。この素敵なアトラクション、もっと知りたい方はこのリンクを読むと面白いと思うよ。

そしてさらに面白いのが、この当時ディズニー社はもしかしたら未来に一番近かった会社かもしれないという事。万博にあった4つのアトラクションは全てオーディオ・アニマトロニクスという人間、もしくは動物そっくりのロボットによって成り立ってます。

この技術は当時では明らかに最先端で、ここまで人間そっくりな機械を作れる企業は他になかったのです。ディズニーは未来の技術を持っていたからこそ、未来を語るときに説得力があったのです。

さて、万博終了後ウォルトさんの目指す方向性は大きく変わり始めます。ついに、彼が夢見る未来を実現する時がやって来たのです。

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フロリダ・プロジェクト

万博の成功は、ディズニーのアトラクションがニューヨークなど東海岸でも受け入れられたということを意味していました。そこでディズニー社は東海岸に第2のディズニーランドを造る計画を始めます。しかしウォルトさんは、さらなる野望を持っていました。今こそ彼の考える未来都市を作ろうとしていたのです。

じゃあどこに作ろうか。最初のディズニーランドはアナハイムという、人がたくさんいる場所からかなり近い利便性の高い場所にあるので、次もそうかと思いきやあえて逆を狙います。

ディズニーパークなら人がたくさんいる場所から多少遠くても来てくれるだろう。そう考えたディズニー社は、ニューヨークやワシントンD.C.など人口密集地ではなくフロリダ州オーランドという未開の地を選びます。それにはいくつかの理由がありました。

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まず、フロリダは土地がとても安かった。今でこそマイアミビーチなどは人気観光地だけど、その頃フロリダの大半はジャングルのような沼地。そんな場所をこぞって買うような人はいなかったので、かなり安い値段で広大な土地を買う事ができました。

そして、周りには敵が誰もいなかった。ディズニーランドが出来る時、造るお金を集めるためディズニー社は必死に宣伝活動をしました。もちろんそれによってお金や人も集まりましたが、それを見ておこぼれをもらおうと企む人も出て来てしまった。するとディズニーランド周辺に安いホテルや飲食店が乱立し、ディズニーランドの雰囲気をこわされてしまったのです。でもフロリダならその心配はいらない。

それでも敵を忍び込ませないため計画は水面下で行われ、この計画は「フロリダ・プロジェクト」と呼ばれました。そしてディズニーは土地の所有者だけでなくフロリダ州政府をも巻き込んでこの計画を広げていきます。

計画が完成した頃には、ディズニーは土地を得ただけでなく、その土地の中では電気・ガス・水道・消防・建築・交通など様々なインフラを独自に作れるという異例の許可を得ます。そのおかげで今でもウォルト・ディズニー・ワールドの道路には、普通ではありえないミッキーマウス型の道路標識が無数に立っているのです。

実験的未来都市

こうして土地も金もインフラの権利も持ち、一言で言えば「何でもやって良い」というお墨付きを得たウォルトさんは都市計画を完成させます。ついにEPCOTの誕生です。EPCOTとはExperimental Prototype Community of Tomorrowの略で、日本語では「実験的未来都市」などと訳されます。(この記事では区別化のため、元々のウォルトさんの構想をEPCOT、パークとして実現した方をエプコットと表記します。)

このEPCOT構想で大事にしていたのは、今ある社会をどうアップデートするかという事。ではその中身を見ていきましょう。

この写真を見れば分かる通り、この街は特徴的な丸い形をしています。そして見ると、中央と外側では見た目が大きく異なる事が分かります。これは中央は商業地域、外側は居住地域になっていて、人々は昼に中央に集まって夜には外側へ帰るという徹底的に効率を追い求めた形になっているからです。

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EPCOTの中心を飾るのは遠くからもよく見える30階建てのビル。その周りには屋根で覆われて天候に関係なく過ごせる商業施設(ショッピングセンター)があり、そこでは世界中の食べ物や服を楽しめる他、プールや野球場、テニスコートなど娯楽施設も多数あります。

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当時のアメリカでの移動手段といえば車ですが、EPCOTでは違います。モノレールとピープルムーバーという新しい乗り物が街中を繋いでいて、車は地下を走るので景観や空気が汚れる事なく移動することができます。

さらに街の中と外を結ぶのもモノレール。交通手段はわざと限られていて、あまり人の出入りが起きないようになっています。というのも、目指しているのは理想都市。素性がわかっており、犯罪を起こさないであろう人にしか住んで欲しくなかったので、そういった意味で空間ははっきりと分けられていました。

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さらにデザインはとても洗練されていて、この絵を見ただけでもカッコ良さが伝わってきますよね。未来都市と名乗るだけあってEPCOTの暮らしは今を超えた未来の生活、すなわちカルーセル・オブ・プログレスの、存在しない第5幕の暮らしです。

中心の街がこのように綺麗な見た目であるだけでなく、それぞれの家も未来を先取りしたものにしようとしていました。家電などを作っているメーカーに働きかけ、このEPCOTを巨大な実験場にしようと考えていたのです。そうすることで、住人は最先端の家具を使うことができ、メーカーは実際に人々に使って見てもらって反応を確認できるというwin-winな関係が成り立つ予定でした。

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しかし皆さんおわかりの通り、これらの計画が実現することはありませんでした。1966年12月、EPCOT構想を率いていたウォルトさんが亡くなったからです。ウォルトさん抜きでEPCOTは作れない。そう感じた残されたディズニー社の人々は、EPCOT構想を白紙に戻します。

しかしすでに土地の購入も完了し、準備は整っているフロリダ・プロジェクト全体を無くすことはしませんでした。元々EPCOT構想を練っている時も、この都市の隣に東海岸版のディズニーランド、マジック・キングダムを作る計画はあったので、まずはその部分だけ完成させる事にしました。

思い出のあとさき

このEPCOT構想は、まさかの理由で強制的に幕が閉じられます。それから半世紀、多くのディズニーファンはこの幻の計画に心を惹かれてきました。そして当然、完成したらどうなっていたか想像する人も多いでしょう。なのでちょっと僕の意見として、もしウォルトさんが後10年ほど長く生きてEPCOTが完成した様子を想像、いや、妄想してみたいと思います。

僕の予想としてはEPCOTは「失敗はしないけれど成功、すなわちウォルトさんが夢みたようにはならなかった」のかな、と思います。

この計画を見ると、どの要素もすごく納得できる、実際にあっても問題なさそうな仕組みばかりなのですよ。ウォルトさんが最初にディズニーランドを作ろうとした時は、誰もその夢が実現できるとは思えなかったはず。でもこのEPCOTに関しては、もちろん規模は大きいけど合理的だし、多分完成したら沢山の人が住もうとしたはず。モノレールやピープルムーバーという新しい乗り物も、ディズニーランドで実証実験の意味も込めて運営されてるけど特に問題なさそうなので、普通に動いて仕組みもうまく回ったはず。

ただ一つ言うと、フロリダの土地で車が通れるトンネルを作るというのはちょっと無理そう。フロリダは沼地なので、土壌に水分が多すぎてトンネルが上手く作れないんですよね。だからマジック・キングダムは地下にトンネルを作るために、パーク全体を盛り土の上に建設していて、流石に都市一つを盛り土の上に作るのは難しそう。

まあとにかく、EPCOTはちゃんと機能するはず。だから失敗することは無いように思えるんですよ。

でも果たしてこのEPCOTは本当に未来都市になったのか、そこはちょっと怪しい。未来という形は常に変わって行き、20年前は夢のまた夢だった未来の世界が今思えば過去になっているように、「未来であり続ける」というのは難しい。もはや不可能に近い。

ディズニーの中で同じく未来を表現しているトゥモローランドも、未来を表現し続けるために完成してからも何度も何度もアップデートされたものの、ここ20年ほどは未来に追いつく事を諦める始末。EPCOTは人が住む街だからディズニーパークほど頻繁にアップデート出来ないだろうし、そう考えるとEPCOTが未来都市でいられるのは10年程度だったかもしれない。 

さらに心配なのは、果たしてディズニー社はウォルトさん亡き後もEPCOTのお世話をしていたのだろうかという事。1970年代、ウォルトさんが亡くなってからしばらくした頃、ディズニー社の経営は悪化していました。テーマパークは成長があまりなく、映画に関してはズタボロ。

そんなディズニーが、お世辞にもあまり儲かりそうとは言えないEPCOTの運営を果たして続けていたのかは疑問です。もしかしたら他の企業に売却されてますます未来都市の要素を失い、さらにせっかくのフロリダの広大な土地の大半がディズニーの元から去っていってしまう。かなりあり得るシナリオだと思います。

もちろんこれらはEPCOTが存在しない世界線に生きる僕の考えなので、もしかしたらEPCOTの完成によりそこには全く違った未来があったかもしれないという事は忘れちゃいけません。完成したらどうなったかなんて、実際に完成していないのだから分かるわけないのですよ。

とにかくウォルトさんの死によって未来都市計画は消え、フロリダの土地は巨大テーマリゾートとして進化していく事になります。"もしも"の話はここでおしまい、実際の歴史へと戻りましょう。

EPCOTからエプコットへ

1971年10月1日、ウォルトさんの死から5年後、ウォルト・ディズニー・ワールド(WDW)が開業しました。元々ディズニー・ワールドという名前でオープンする予定でしたが、ウォルトさんの死後計画を引き継いだ兄のロイさんの意向で名前に"ウォルト"と付け足されました。

幼い頃からずっと共に歩んできたロイさんとウォルトさん。ウォルトさん最後のプロジェクトぐらい弟のフルネームを付けてやろうという粋なはからいなのでしょう。そして開業から2ヶ月後の1971年12月にロイさんも亡くなったため、このウォルト・ディズニー・ワールドは兄弟両方にとって最後のプロジェクトとなりました。

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さてWDWが開業したといっても、出来たのはディズニーランドの複製版であるマジック・キングダムとホテルが2つ(コンテンポラリー・リゾートとポリネシアン・ヴィレッジ・リゾート)のみ。広大な土地のほんのわずかな部分しかまだ使われていませんでした。そしたら当然新たなパークを作る計画が始まります。そこでディズニーは、かつて白紙に戻されたEPCOT構想を復活させる事に決めたのです。

元々の計画である未来都市を作るのは不可能だと悟ったディズニー、そこでかつての計画から要素だけを取り除いて、規模感を縮小したテーマパークに落とし込む事に決めます。そこでイメージしたのが、元々のEPCOT計画の始まりの地といっても過言ではない、万博でした。

エプコットのテーマは「常設の万博」。エプコットの2大要素である未来の様子と世界の国々、これはまさに万博でよく語られるテーマです。期間限定でしか触れる事が出来ない万博を何年も一年中楽しめる事が出来たら、ただのテーマパークを超えた特別なものになると考えたのです。

さらに万博と同じように、アトラクションもスリルのあるローラーコースターではなく、教育要素を含んだ映像のシアターや、ゆったりとした乗り物が大半でした。というかそもそもアトラクションの数自体が1982年の開業時点では5つしかありませんでした。いや、5つって。しかもこれ映像のシアターを含めてこの数字だからね。

1982年10月1日、世界で3番目のディズニーパークであるエプコット(当時の名称はエプコット・センター)が開業しました。今までのディズニーパーク、そして半年後に開業する東京ディズニーランドには城という目立つシンボルがあるので、当然エプコットにもシンボルは必要です。さあご覧あれこの特徴的な白い球体、スペースシップ・アースを!

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スペースシップ・アースを直訳すると宇宙船地球号。よく"ゴルフボール"と呼ばれてるこの球体は直径50mあり、台座を含めての高さは55m。シンデレラ城の高さとほぼ同じくらいです。重さは驚異の700トン。平気なのは分かってるけど、下をくぐるときにちょっと恐怖を感じるレベル。

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そして何よりすごいのは、この球体の中がアトラクションになっていて縦と横だけでなく上下も乗り物に乗って動きまくれるのです。ゆったりと進む乗り物の周りには沢山のオーディオアニマトロニクスがいて、人類の歴史を辿れるという壮大な楽しいアトラクションです。超オススメ。でもこれ乗っている間、今どこにいるのか全然分かんなくて設計者をひたすら尊敬したくなる。よく作ったよ、本当に。

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そしてスペースシップ・アースをくぐり抜け、しばらく歩くと見えてくるのは巨大な湖。この湖の周りに11の国をイメージしたパビリオンがあるんだけど、それの規模がまあデカい。湖を一周するだけで2kmあって、前半の国々はちゃんと中まで入ったりして楽しめていたのに後半になるとだんだん疲れて見るのが雑になるっていうエプコットあるある。無いか。

そしてこの国のパビリオン一個一個が非常に素敵なんです。美しい観光地の建築をそのままコピーして、なおかつキレイに整えられてるから何なら本物よりキレイなのでは?と思った。(特に中国館とイタリア館あたりで)

しかもそこにあるのは、その国そのもの。だって僕という日本人が日本館に行って全然違和感感じなかったんだもん。そこにあるのは決して、アメリカ映画によくあるトンデモ日本ではなく、厳島神社の大鳥居、五重の塔、姫路城と日本を代表する建物たち。このコンセプトアートの時点では富士山をテーマにしたローラーコースターも作られる予定だったけど予算の問題で消えちゃったみたい。残念。

しかもショップではおそらく世界のディズニーパークで唯一ポケモンやサンリオのグッズも買えちゃうし、レストランでは鉄板焼き、寿司、豚骨ラーメンまで何でも食えちゃう。店員さんも多くは日本人なので、エプコットの言う異文化体験は伊達じゃない。

そういえばフランス館ではディズニーランド・パリのグッズ、中国館では上海ディズニーランドのグッズが売ってたけど、日本館では無かったな。

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時代の変化とエプコットの変化

さすがにアトラクションが5つだけというのは少ないと気付いたのか、後々に激しい系のアトラクションが追加されていきました。でもその追加アトラクションも、他のディズニーパークとは一線を画したものばかりでした。「テスト・トラック」(1999年開業)という車の走行体験に参加できるアトラクションや「ミッション・スペース」(2003年開業)という宇宙を旅行出来るアトラクションなどエプコットらしいここだけにしか無いアトラクション。スリルもありながら、エプコットの未来というテーマや教育的要素を含んだ、とても独特なもの。でも酔いやすい人はマジで吐く。

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でもエプコット開業から20年ほど経った頃、新規アトラクションの傾向が変わっていきます。

「シー・ウィズ・ニモ&フレンズ」(2006年開業)

「三人の騎士のグラン・フィエスタ・ツアー」(2007年開業)

「フローズン・エバー・アフター」(2016年開業)

と、見て分かるようにディズニー映画のキャラクターのアトラクションが増えてきたのです。

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あえて「いわゆるディズニー要素」を減らして作られたエプコットにディズニー要素を詰め込むのはどうなんだ。これはアメリカのめんどくさいディズニーオタクの中でよく話題に上がるそう。そしてこれと全く同じ議論が東京ディズニーシーでもされてるよね、ストームライダー閉鎖の時とか。

僕としては、この風潮は別に全然気にならないです。だってディズニー要素詰め込んだ方が楽しいじゃん、結局。この写真のアナ雪のアトラクションはノルウェー館にあって、元々あった「メールストーム」というノルウェーの伝説をテーマにしたアトラクションをリニューアルしたもの。でね、誰が見てもアナ雪の方が楽しいのよ。アナ雪の方が小さい子も喜ぶし、それめがけて人が集まるし、グッズも売れるし、みんなハッピー。

でも確かに、反対する人たちが言いたいことも分かる。「フューチャー・ワールド」という未来を意味するエリアから、未来を示す要素が消えていくのは確かに寂しい。元々「エレンのエナジー・アドベンチャー」というアトラクションが今度マーベル映画「ガーディアンズ・オブ・ギャラクシー」のローラーコースターに生まれ変わります。正直この「エレンの〜」は乗ったけどあまり面白くなかったし、絶対「ガーディアンズ〜」の方が楽しいし人が集まる。

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でも本当にそれでいいの?エプコットのテーマは常設の万博で、そこにあるアトラクションは未来を語ったり教育要素を含むものじゃなかったの?という事ですよ、彼らが言いたいのは。本当にSF映画のアトラクションで「フューチャー・ワールド」と語っていいのかって。

エプコットだけじゃない。世界のディズニーパークにあるトゥモローランドだって、最初はディズニー映画が関係ない、純粋に未来を語るアトラクションだらけだったのに、今では大半がSF映画のアトラクションだ。(しかもモンスターズ・インクとかSF映画かどうかすら怪しい)

最新の上海ディズニーランドのトゥモローランドだって、建築は今までとは違う未来的な雰囲気を出しているのに、そこにあるアトラクションはどれもディズニーのSF映画が元になったものばかり。果たしてSF映画のアトラクションが集まったエリアは本当に「トゥモローランド」なのだろうか。

昨日の"未来"、今日の"未来"

さあ、まとめに入ろう。

1960年代にウォルトさんが語った未来はとうに過ぎ去り、今あのEPCOTの街を作ったら古臭く感じるだろう。それだけ時代の変化が進んだという事だ。そう思うと、まるで未来というのはもうやって来たように感じるだろう。でもそんな事はない、かつて夢見た未来は過ぎ去っても、私たちは本当の意味での"未来"には永遠に追いつけないのだから。

ウォルトさんは何故EPCOTを作ろうとしたのか。単純に利益のためなら、もっと人が集まりいくらでも稼げるディズニーパークを作りまくれば良い。すなわち現在のWDWであり、エプコットがこれから目指す先。

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でもそれをせず街を作ろうとしたのは、この街が未来を良い方向に変えられると信じていたからなのではないだろうか。ウォルトさんが夢見た未来都市は形を変えに変え、最終的にはSF映画のアトラクションが集まるディズニーパークになるのだろう。なぜならディズニーパークは未来を語るのをやめてしまったから。

ディズニーパークはテーマパーク、分類としては遊園地だ。彼らには来園者を楽しませるという義務があり、来た人を楽しませながら未来を語るというのは荷が重いかもしれない。それでも50年前、ディズニーパークは確かに未来を語っていた。今のディズニーパークは最先端の技術を使ってアトラクションを作ったりはするけど、技術を紹介したりはしない。

めんどくさい事を言っているのは分かってる。そして今ディズニーがやろうとしてる事を否定する気はさらさらない。だって楽しみだし。それでも期待したくなるんだ、こんな壮大な流れを経て今にいたるエプコットなら、子供から大人まで楽しませながらも未来を語れる物凄いアトラクションが出来てくれるんじゃないかなって。

ディズニーパーク史のススメ

最近このブログで、世界のディズニーパークの歴史について語る記事が増えてきました。今回は、そういったディズニーパーク史を知るのは楽しいよーという布教のための記事です。

なぜディズニーパーク史について書くのか

まずは自分がこういった文を書くモチベーションについて。インターネットには様々なディズニーの記事にあふれています。しかーし、東京ディズニーリゾートについては日本語で極めてディープなところまで調べられるにも関わらず、世界のディズニーパークについては中々ディープでオタクチックな記事が無い!

調べても出てくるのは、旅行記や今のイベントの様子だけで、それじゃあ勿体無い。だって歴史を知るっていうのは純粋に面白いんですよ。それを知る事で、今まで何気なく見ていた風景がすごく意味のあるものに見えてくる。東京ディズニーリゾートの歴史を語る記事は沢山あるというのは、それだけそこを知る事に価値があるからだと思うんですよ。

じゃあ何故それが世界になると、全くと言っていいほど日本語で深い情報を探せなくなるのか。それは簡単、書ける人が全然いないから。やっぱりカリフォルニアのディズニーの深い記事を書くにはカリフォルニアに行ったことがないとアトラクションについてとか想像出来ないし、結局書けないもんなんです。

そしてそんなのを読む人もいない、そう思ってました。こんなの誰が読むんだって書きながらずっと思ってた記事が、公開すると意外と累計で何百人、何千人に読んでもらっていたりしちゃってます。なんだ、みんな興味あるんじゃん。

どうやって調べてるの?

先ほど、日本語ではディズニーパークの歴史の記事が全く無いと言いました。つまり日本語ではなく、英語ならいくらでもあるんですよね。そしてこのブログのディズニーパーク史の記事は、あらかた英語のサイトから情報を組み合わせて書いてます。もちろん丸パクリでは無いけど、書いてる内容は歴史という同じ筋道なので当然中身はそっくりになっちゃうのです。

例えば最近書いたハリー・ポッターの記事は、ほぼこの2つの動画/記事を参考にしてます。ただこういった歴史って、水面下で動いている時の様子も含まれるのね。そしてそういう時、歴史というのは事実だけでなく噂話からも作られるから、サイトによって書かれてる歴史が違うこともしばしば。まあ聖書ですら何パターンかあるんだから、ちょっとぐらい歴史が異なるのはしょうがない。そういう時は、「これが正しそう!」っていう勘で選んで書いてます。

とまあ、今ので分かる通りこのブログで書いてる歴史は正しいのかどうか全然分かりません。ただ、僕から見て「これは正しいんだろうな」という物しか書いてないというか書けてないです。ファクトチェックとか、やり方も分からないし。でも趣味として楽しむ程度には、大方正しい歴史の物語をお伝えしてると断言できる。嘘っぱちの歴史を断言してるブログほど嫌いな物は無いので。

もっと知りたい!

stacyさんはブログに対して特別情熱があるわけじゃないし飽きやすいので、ブログが更新される頻度は超低いです。もしも、このブログでディズニーパーク史の面白さに目覚めた人がいたなら。もっと色々なことをstacyのフィルターを通さずに知れる方法を紹介しようと思います。

東京ディズニーリゾートの歴史を探すのは簡単。この2つを読もう。面白いよ。

海を超える想像力―東京ディズニーリゾート誕生の物語 (ディズニーストーリーブック)

海を超える想像力―東京ディズニーリゾート誕生の物語 (ディズニーストーリーブック)

 

そしてウォルトさんが最初のディズニーランドを作った様子も、ウォルトさんの伝記として含まれるので、色々と日本語で知れる。色々な媒体であるけど、特にオススメなのはこれかな。

問題はここから。ウォルトさん以降のディズニーパークの歴史を日本語で知れる方法は数少ない。それがこの邦訳されたビジネス本。かつてディズニー社のCEOだったマイケル・アイズナーの自伝からは様々なディズニーパークの裏話、特にディズニーランド・パリの大誤算がこれ以上無いほど詳しく書かれていて読んでてしんどくなる。

ディズニー・ドリームの発想〈上〉

ディズニー・ドリームの発想〈上〉

 

さらにイマジニアだったマーティ・スクラーさんの自伝も何故か邦訳されていて、当然世界中のディズニーパークの話が出てきます。ただ個人的には、何だか自分語りとか同僚の話が多くて、読みたかった内容とは違ったなぁという印象。

ディズニー 夢の王国をつくる: 夢は実現する――世界のディズニーパークはいかに創られてきたか

ディズニー 夢の王国をつくる: 夢は実現する――世界のディズニーパークはいかに創られてきたか

 

うーん、ぶっちゃけ言って深い情報はこれぐらいしか無い。後はもう英語で頑張ってと言うしかないので辛いよ。

なので英語が分からない人/分からなかないけど読むのが面倒な人にもディズニーパーク史の面白さが伝わるよう、これからも頑張っていきますね。ちなみに次回の記事は、久々の1万文字超えを目指してエプコットの記事を書こうと思ってます。